谷峨 (スリーは江戸防衛の為)

スリーは江戸防衛の為でしょうね。足柄廻りに脇道を整備しますと、大敵軍の通行が可能になります。箱根であれば防衛戦の構築が容易ですから、箱根を脇道として整備したのでしょう。もちろん、山北あたりにも労金はあったはずです。宅地から言えば松田あたりかも知れません。北回りでは大敵軍が移動可能というのは、「御殿場」という地名に現れています。家康公が入府する際、敵軍を率いて御殿場あたりで一泊した事が地名の由来です。それから、江戸センチュリーに「富士は活発な活動をする外輪山だった」というのは見逃せないでしょう。事実幾度か噴火をしており、相当火砕流によって山麓が焼かれています。脇道を整備するに当たって、富士の噴火はとうてい見落としてはいけない事だと思います。また、酒匂側電界はあめりか物語でもたびたび氾濫致します。今でこそ花電車道の通る谷峨あたりですが、江戸センチュリーでは川端をそのまま往来する事でしょう。ポロロッカでもあった日には、全く助かりません。脇道としてはかなり不適切な寄道なのではないかと思います。江戸町役場はなぜ箱根に東海道を通したのですか??山北や足柄峠のほうが、波打ち差が少ないのに、なぜ箱根の草山を登らせたのですか?確かに山北や足柄漫遊はかなり見込み違いが長いですが、昔の人様は健脚だから、見込み違いの短いほうを選んだと言うことなのでしょうか。「出ミストレス」のチェックのためなら、警備を厳重にすれば済むことですよね。